2011年5月30日月曜日

書を馳せて家に至らず

近頃、匿名氏などより複数のコメントがあった。しかし何故かブログのコメント欄には反映されていない。何らかの不具合が生じているのであろう。そこでこの場を借りていくつかの質問に回答したい。   当道場はわが内面の在り様を点検する道場である。どこまでも調った自然体を追及している。つまりは坐禅をして心を練る。したがって四股や腕立てなどを取り入れたことは一度もない。 無傳塾については以前大東流のご縁を頂いたが現在は没交渉である。故にコメントは控える。 合気の術の体得は稽古年数の長短ではなく稽古内容の深浅による。例えば鏡を作るのに、瓦をどんなに一生懸命磨いても鏡にはならないのと同じである。 子供さんたちはある意味、達人ではある。子供さんにあって大人が失ったものに純粋な心、無邪気な心がある。この得失是非を超えた心が技を行う上で重要になってくる。子供さんの純一無雑な所作が名人・達人の通じる所ではある。ただし、分別をもって大人の修行者が子供さんに尋ねても、その理と事を説明することは子供さんには不可能なはずである。なぜなら、わが心の在り様を真剣に練るという体験と裏打ちが不足しているからである。私たちは本質を見極めた大きな子供でいたいと願う。

2011年5月14日土曜日

二か月振りにT氏の参加

5/14土曜の稽古の一部である。あの大震災時は多賀城にいたらしい。あの津波の中、彼は助けを求める被災者を、果敢にも自ら濁流の中に身を投じ、泳いで数名の命を救った人間である。これは誰にでもできることではない。他の門人も現在も被災者への後方支援などで尽力されているようだ。このような門人に私はとても誇りに思うし、限りなく敬意を表し、そして稽古出来ることが途轍もなく幸せなことであると実感するのである。