2009年5月27日水曜日

厳しさの裏側

先日の稽古時でのこと。普段は温厚な私?が、あろうことか声を荒げてしまう事が二度あったのだ。少し大人げ無かったかなと反省もしつつ、いや、やはり門人としての態度に、そして道場内の空気に、今後においても看過できない部分があったからである。雷は落ちはしたが、それもこれも相手に、そして周囲に良かれと思えばこその親切心の発露なのである。以前、私も禅の修行において、先の師匠から「師が厳しくなってきたら、シメタと思え。師が本気で門人を鍛えあげようとしている証拠なのだ」と言われたことが今でも脳裏に蘇える。縁あって学んでいる門人を私の身勝手な感情で怒鳴ったりはしてはいないのだ。此処のところを耐え忍んで透過した者がホンマモノになるだけなのだ。

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

優しさ、そしてきちんと言える強さを感じました。勉強になりました。

匿名 さんのコメント...

十年前に前の流派の先生に一喝された声が今も私の脊髄のなかに沁みています。それは、今の私の生きる道標のひとつです。

中條真堂 老師 さんのコメント...

匿名さん、投稿ありがとうございます。お互い似たような体験があったようですね。思えば「師匠よ、あの時良くぞこの私を叱ってくれた!」と今では師の親切に感謝しております。